虚空

芸術

尺八は和楽器の仲間であるが、もともとは仏教と同じく、その昔に、中国から伝来されされたものだ。

仏教のある宗派において、法器として、長い間、修行の際に使っていた聖なる道具であった。

自身の体験から云うと、私自身は尺八の国内最大流派で尺八の先生になれる資格は取得はしているが、

習い初めたころに、修行に使ったという意味がよく分かった。 まずは、精神統一というか、気持ちを安定させておかないと、ちゃんと吹けない。 ノンリード楽器なので、唇の形を自分で作らないと正しく息が流れずに鳴らない、息の出し方と、身体の前後の振り、手の動作と、すべてが一体化していかないとよく響かない。(演奏にならない) そういう点からも、嫌な出来事や不安な事があって、気持ちを引きずったりしていると練習もままならない。しかし、生きていれば職業等に関係なく、何のストレスもなく、いつも気持ちが一定という事が難しい。だから、不安などは即座に忘れて、心頭滅却して、尺八を吹くのに集中することが重要になってくる。

 管楽器という点では、他の管楽器も体育会系で毎日練習だし、似たようなものだろうが、リード楽器かノンリード楽器かでは、音質は別として、音は出るか、まったく音が出ないかという違いがあるので、かなりの差があると思っている。

尺八を習う人は、我を張らず、ソフトな音色、倍音の心地よさを気に入っている人たちも多いとは思うが、やはり元々は修行に使った道具だけあって、精神修行にうってつけの道具のひとつには良いと思う。 そして、慣れていくことで虚空を、人生の意義を、生きる意味までも感じていく。 確かにそんな深い楽器のひとつではあると思う。

しかしながら、私には仏教修行の道具ではなく、音楽の演奏としての尺八なので、音程や早さ、拍子が間違っていないとか、演奏技術がどうとかが、日々重要になってくる。

自分にとって虚空を感じられるのはいつの日か、いや近頃は、この日々が虚空を感じているという事ではないか、とも思えてきた。

その他、尺八についての話題はまた次の号で。

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