人生、子育てにおける歯がゆさの話し。
『テセウスの船』は、ギリシャ神話にある、同一性を問うパラドックスである。 保管保存する船があり、物理的維持のため、別の者の手で船の部品をすべて交換してしまったが、その後でも、その船は元の船と同じ船だと言えるのか? という内容である。
家庭生活に置き換えて
現在、家庭を持ち子供がいる家庭においては、大抵の親は、子供に対して資源(経験、座学・学歴などのインプットの事)を惜しみなく与えようとするだろう。子供によっては、他人から資源を教授した後に再現能力が高ければ、受けた教え、考え方を、自分のものとして再生し、取捨選択を行なった後、上手く人生表現していく者もいるだろう。 親が我が子へ教えを与える機会が少ない場合に、他人からの資源の享受が多くても、親は子供に対して最小限のヒントだけを与え、後は本人に任せるという手法を実践していけば、子供の想像力、解決能力が養われるので、能力伸長には問題無いと考えられる。 逆に、教育係り(先生)が手取り足取り教え過ぎたり、過保護すぎては教えを享受する側は自ら考えたり思考努力することを停止してしまうので、成長が伸び悩む事にもなる。
機会 ~タイミングをみて~
子供も、それぞれ自らの考え方があり、親の話す言葉に耳を傾ける事が少ない場合が多い。現在の社会においては、幼少期から義務教育、大学での教育に至るまで、教育の類いを大抵の場合は他人(教師等)へ任せているので、その他人から受ける考え方、教えも子供にとっては大きな影響を受ける。但し、親としては、遊びや趣味、一般的な生活態度マナーを通じて、良いタイミングで生きる為のヒントを単発的に教えていく事で、親子のパラドックスは、努力をすれば埋めていけると考える。 ただ、今の時代は、子供が手を差し伸べた時に、何らか少しでも応えてあげられる事が重要だと云える。
自分の幼少を想い出して
子供の教育では、プロセス ~自分で考えさせて工夫させ、問題を解決させる課程が大事という事~が重要であるという。 自分で考えさせて工夫させるという事は、ヒトが本能的に持っている、コントロール欲求を満たし、苦心はすれど、気持ち、生理的にも満たされるものである。親や、教えを享受する側は常にその事を意識する事が大切だ。
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